分からないから面白い
コーヒーの世界
霧島市国分に本店を構え、谷山店、天文館店と鹿児島県内で3店舗の珈琲豆専門店を運営するヴォアラ珈琲。鹿児島のコーヒー好きなら知らない人はいないほどの人気店だ。代表の井ノ上達也さんに、40年以上に渡って追求し続けてきた「焙煎とは何か」「おいしいコーヒーとはどういうものか」について語ってもらった。
焙煎を学びに
海外へ飛び出す
井ノ上さんは、鹿児島や福岡の自家焙煎珈琲店で修行を重ねたのち、1986年鹿児島市山下町の郵便局裏で小さなコーヒー豆店を始めた。バイクを売り、親戚からお金を借りて始めた店だったが、わずか2カ月で店を閉めてヨーロッパへカフェ・ロースター探訪に出かけることになる。
「理由は焙煎が分からなかったから。当時僕はダークローストをしていて、近所の方から『さっきまでいい匂いがしていたのに、途中から焦げた匂いがする』と言われたこともあって。焙煎に悩んで袋小路に入ってしまいました。ちょうど読んでいた本に出てきたヨーロッパのコーヒーやエスプレッソが気になって、行ってみたくなりました」
その時の優先順位は、資金をかけて始めたお店よりも何よりも、現場であり体験だった。ローマの老舗バル「タッツァドーロ」でエスプレッソを飲み、パリの自家焙煎カフェ「ヴェルレ」で焙煎の様子を見せてもらい、チューリヒへも足を運んだ。なんの事前約束もなく訪問したが、人に恵まれ先々で焙煎を見せてもらったり、教えてもらったりすることができた。さらに、コーヒーだけでなく、チョコ、パン、チーズ、ワインも各地でいろんな店を巡る。
「チーズ店で買った食べごろのチーズを持って、ワイン店へ行って『これに合うワインをお願いします』と頼みました。すると安いワインをおすすめされて。僕はもっと予算があったけど、『これがばっちりだよ』と。部屋に帰って食べたら最高でした。これがマリアージュかと」
メゾンドショコラの滑らかなチョコに感動して、自家製酵母のパンに驚く。ヨーロッパの行く先々で、豊かな食体験をした。いろんなものを直接見て体験することの大切さが強く刻み込まれた。
これからはおいしいコーヒーが
評価される時代
帰国後は喫茶店勤務や自転車店勤務を経て、1995年霧島市国分にヴォアラ珈琲をオープン。それでもまだ納得のいくコーヒーが作れず一時期は店を辞めようかとさえ思っていた。しかし、1997年から始まったグルメコーヒープロジェクトに関わることになり、これが大きな転機となった。
グルメコーヒープロジェクトとは、ITC(国連)の基金とICO(国際コーヒー機構)の協力で、土地に合った高品質なコーヒーの生産方法を開発して発展途上国の経済的自立を促進するプロジェクト。いわゆるスペシャルティコーヒーの走りだ。「アンケートを取りたい」と日本の小さな自家焙煎店にも声がかかった。
「今でもそうかもしれませんが、当時は特にコマーシャルコーヒー(通常流通品)は欠点がないものがいい豆とされていました。例えば実の熟度の悪いものが入っていても、嫌な味でなければOKなんですよ。それに対して、スペシャルティコーヒーはおいしさが大事で、実は熟している必要があります。考え方が全然違う。2000年頃からヨーロッパの方でも評価方法が変わりつつあり、それを聞いてこれからはおいしいコーヒーが選ばれるんだなと思うようになりました」
プロジェクトでは「こんなにおいしいコーヒーがあるんだ」と驚くコーヒーに出会い、中間業者を通すよりも品質の高い豆を適切な値段で買うことができた。しかし、プロジェクトが終わると同時に豆の品質が落ちて、値段が上がってしまった。
生産者が安心して
おいしいコーヒーづくりができる環境
「どうしようかと思って、それならコーヒーをもう一度基本から勉強して自分たちができることをしようと、全国の自家焙煎店で集まり『珈琲の味方塾』を立ち上げました」 参加メンバーは20人前後。毎月集まっては勉強会を開催し、海外の農園やコーヒー展示会など海外研修にも足を運び、焙煎やブレンド、抽出といった味に関する技術向上に切磋琢磨した。さらには独自の仕入れルート開拓も。カップオブエクセレンス、いわゆるコーヒーの品評会が開催されると、味方塾で一位の農園を落札。その後実際に農園を見に行き、生産者の方と話をして人柄や農園について知った上で、さらなる豆の買い付けの交渉を直接行う。
「コーヒーの味方塾がなぜおいしいコーヒーを仕入れることができたか?その理由は、いい農作物を育てるには資金が必要だと理解していたことです。ほとんどの人が『いいものがあったら買うよ』ってアクションしか起こさない。僕たちは今年度の買い付けをする際に、翌年に欲しい豆の量を農家さんにお知らせして、その栽培に必要なコストは今期の豆の代金に上乗せして払うようにしていました。そして収穫後、ブラインドでカッピング(テイスティング)して、買うか買わないかを決めます。テロワール(土地の個性、環境)に恵まれた熱心で勤勉な生産者さんでも、その年の気候条件によっては品質基準を満たさないこともあります。ただ、栽培に必要なコストは前払いでこちらが持つことで、お互いなるべくフェアに取引できるようにしました」
そうして仕入れた豆を、音、色、香りを感じながら対話するように焙煎する。
コーヒーの発酵の役割
コーヒーはその製造プロセスで発酵を経ている。収穫したコーヒーから果肉とミューレージ(粘着質の部分)を取り除き、中の種を取り出す際に発酵の力を借りている。
「発酵は、それぞれ与えられた環境の中で何が最善かってことで生まれたものだと思う。水が豊富なところでは、果肉と種を分けるのには発酵槽に入れて水で洗うウォッシュドが良かっただろうし、水のないところではいわゆる天日乾燥、ナチュラルってやり方が合っている。そこからいろんな技術が発達している」
水や天候といったその土地の気候条件によって、適した発酵方法が生み出されてきた。
「あとは資金面が大きく関わってきます。資金をかけて発酵槽をきれいにタイル張りした方が、掃除も簡単だし衛生的にもいい。汚れているとそこにいる微生物も働いて発酵がどんどん進んでしまうので、発酵において衛生管理はとても重要です。農園によってはクーラーを入れて温度を一定にしてまで発酵法にこだわっているところもあります。でもそれが本当にそれだけの価値があるかっていうと、また新しい方法が生まれてきたりしているし、やっぱり難しいね。発酵は調べれば調べるほど奥が深い」
進化し続ける焙煎
産地の気候条件や環境、精製(発酵)の過程、流通といった多くの条件がうまくかみ合って初めておいしいコーヒーができる。その年の雨のタイミングが変わるだけで味も変化する、極めて奥の深い世界だ。そして、焙煎にも同じことが言える。
「僕は今でも日本やアメリカの焙煎の講習会に通う。同業者の中でも一番行っている方だと思う。やり方は進化しているしヒントがいっぱい。受講してみると、自分は浦島太郎だったなと思う。帰ってすぐシステム変えてみたりしています」
焙煎に対する探究心は、1986年に店を閉めてヨーロッパへ学びに行った頃の情熱そのままに変わらない。これだけ勉強してきても、まだ勉強する余地があること、そうしようと思えることに驚く。
「焙煎は意外と自由なんですよ。例えば、焦げ臭がついた味は冷静にそこだけ見ると確かに焦げているんだけど、全体で見ると味のアクセントになったりする。焼き鳥やうなぎでもそうですよね。スペシャルティコーヒーは今、浅炒りがトレンドで、ローストが浅い、もしくは焙煎時間が短いほどいろんな香り成分があるのは確か。でもあまりにも浅いと生っぽい味になったりする。そうはいっても結局のところ、最終ジャッジは消費者なんですよ。お客さんがまた飲みたくなるかが大事」
自由だからこそ、いろんな可能性があってそれはそれで難しそうだ。ヴォアラでは現在中炒りのコーヒーが多い。豆の個性を十分に引き出せるよう、音や色、香りを感じて対話するように焙煎。そして必ずカッピングをして味を確認している。
「コーヒーは焙煎したときが完成じゃなくて、焙煎後もさまざまな味の変化がある。要はメイラード反応だから焙煎は進んでいるんですよ。焙煎してすぐがおいしい、2週間以内に飲んだ方がいいとか、人によって好みはいろいろ。一カ月後にめちゃくちゃおいしいこともある。保管方法は、冷凍してできるだけその味をキープするやり方もあるし、常温で保管して温度変化の中で上手に楽しむやり方もあります」
四十年情熱を注いでもまだ底が見えない
深くて広いコーヒーの世界
「おいしいものには種と仕掛けがある」を信念に、焙煎でも温度や湿度、水、ガスの条件を把握して、分析しながら取り組んできた。しかし、それでもコーヒーはまだまだ分からないことが多く、だからこそ飽きなくて面白いのだという。
「いまだに思うようにならないから飽きないのだと思う。焙煎は温度や条件を一定に整えてやっているはずが変化していく。うまく行ったと思ったらそうならなかったり。焙煎方法も今うちは中炒りが主流だけど、浅めや深めも試していつもトライ&エラーを繰り返しています」
井ノ上さんが40年以上にわたって情熱を注いできたコーヒーは、まだまだ新しい魅力を見せてくれる奥深い世界だ。私たちがヴォアラ珈琲を訪れたら、その魅力の一端に触れられるはずだ。店内には数十種類の豆のほか、家庭で使いやすいコーヒーメーカーやミル、コーヒーと相性抜群なお菓子が並び、コーヒーの時間を豊かにしてくれる。さらに、定期的に教室を開催したり、サイトやフリーペーパーで情報発信をしたりと、お客さんにコーヒーの楽しみ方を伝えてくれる。入り口は楽しく、ハマってしまうとその先はどこまでも深い。
「飽きっぽい僕が飽きていないからすごいよね、コーヒーって」
井ノ上さんのコーヒー探求はこれからも続いていく。
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取材・文=横田ちえ
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写真=東花行
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取材・文=横田ちえ
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写真=東花行